2022年は沖縄が本土復帰して50年。
朝ドラも放送され話題となっている沖縄。
そんな沖縄に立入禁止の島があるって知ってました?
しかも戦前はたくさん人が住んでいたのに、戦後は無人島になってしまった…
という、長崎県にある軍艦島を思わせるような島です。
その島は「沖大東島」。
今回はそんな栄枯盛衰を経て、立入禁止の島になった「沖大東島」を紹介します。
どこにあるの?
沖大東島は大東諸島にあります。
大東諸島は沖縄本島から約340km東にあります。
東京から京都が直接距離で約360kmなので、沖縄本島からもかなり遠いです。
大東諸島周辺には他の島・陸地はなく、まさに絶海の孤島。
大東諸島には「沖大東島」、「北大東島」そして台風情報でもよく聞く「南大東島」があります。
ちなみに南大東島には約1200人の人が住んでおり、大東諸島の中心的な島です。
飛行機では那覇空港から1時間。船だと那覇から13時間かかります。
どんな島なの?
沖大東島は無人島。
島の面積は1.15平方キロメートル(東京ドーム約24個分)。
サンゴ礁でできています。
これは沖大東島に限らず、南大東島、北大東島も同じです。
島の形は三角形。
ほぼ平坦な土地ですが、島の中央に行くほど低く、窪地になっています。
海岸は断崖絶壁。
よくある沖縄の砂浜…のようなものは一切ありません。
沖合は深く、波の高い外洋なので遊泳はもちろん絶対にできません。
木や森もなく、ちょっとした植物があるだけで、ほぼ荒れ地が広がっています。
もちろん人が使えるような水源もありません。
沖大東島は一般人の立入が禁止となっているため、行くための手段もありません。
なぜ立入禁止なのかはのちほど説明します。
どうして島は栄えたの?
なぜこのような島に人がたくさん住んでいたのでしょうか。
きっかけは農業の肥料に必須な「リン」が見つかったから。
農業肥料に必要不可欠な「リン」の発見
もともと沖大東島は、人が住んだ痕跡すらない無人島。
15世紀ごろからさまざまな船に発見され「ラサ島」と呼ばれていました。
1900年に正式に日本領に。
当時の沖大東島は鬱蒼とした草木に覆われていたそうです。
その後農業肥料に必要なリンの鉱石が発見されます。
当時の日本は人口増加、食料確保のため、国産リン酸肥料の確保が急務でした。
そのため沖大東島の開拓・リン鉱石採掘に注目が集まりました。
なんと一企業が開拓&統治!
沖大東島の開拓にむけた闘争に打ち勝ち、
実業家の恒藤規隆が「ラサ島燐鉱合資会社」を設立、本格的な開発に着手します。
堤防や倉庫、発電所、宿舎といった施設をつくり、島を開拓していきました。
ようやくリン鉱石を採掘する鉱業所も開設され、それにともない多くの労働者が移住。
1918年には最盛期を迎え、
狭い島に約2000人ほどの鉱山労働者が働いていて、まさに長崎の軍艦島と同じ状況でした。
学校・病院・郵便局も設置され、立派な街が形成されていました。
しかも沖大東島には地方自治がなく、会社である「ラサ工業株式会社(元はラサ島燐鉱合資会社)」が学校・病院・郵便局といいた公共サービスを担当。
まさに一企業が島を統治している、特殊な状況でした。
これも軍艦島に似ています。
1937年には「ラサ工業」が沖大東島の所有権を国から取得し、正真正銘「ラサ工業」が所有し、統治する島となりました。
なぜ無人島になってしまったの?
そんなこんなで、リン鉱石の採掘で栄えた沖大東島でしたが、太平洋戦争が勃発してから状況は一変。
戦時中は沖大東島にも軍隊が配備され、アメリカ軍の空襲を受けるなど緊迫した状況が続きました。
1944年には全島民の島外退避が決定。
1945年1月には鉱業所の従業員も完全撤退して、閉山となりました。
その後も沖大東島には日本軍が残っていましたが、終戦となり、島にはアメリカ軍が上陸。
日本軍は撤収し、沖大東島は開拓前のもとの無人島に戻りました。
現在の沖大東島は「爆撃の標的」!?
なぜ島は「絶対に立入禁止」なのか
終戦後、アメリカの占領下となった沖縄。
沖大東島もアメリカ領となり、無人島のままアメリカ軍の「沖大東島射爆撃場」となりました。
文字のごとく、島全体が空からの爆撃訓練、艦船からの射撃訓練の標的となっています。
1972年に沖縄が本土復帰してからも、そして現在もなお、無人島のままアメリカ軍の「射爆撃場」として使用されています。
沖大東島が立入禁止の島なのは「射爆撃場」となっているためなんですね。
無断で上陸したら標的にされてしまいます。
上陸してみたいですが、島内には桟橋、貯水槽のあと、トロッコ跡があるだけ。
爆撃による穴も多数あるそうです。
航空写真を見てみると、施設のような跡(赤い丸)、採掘によるものなのか爆撃なのかわかりませんが、地形の凸凹(青い丸)が見られます。
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今も島の所有者は…
ちなみに沖大東島を開拓して統治していた「ラサ工業」は今も存在しています(化学メーカーとなっている)。
そして、アメリカ領になったり、本土復帰があったり、いろいろあったにもかかわらず、今現在も変わらず「ラサ工業」が沖大東島を所有しているようです。
激動の時代を経ても、一企業が島を持ち続けているって、ある意味すごいですよね。
ロマンがあるというか。
もしかしたら、島に対する並々ならぬ思いがあるのかもしれません。
まとめ
もともと無人島だった島。
リン鉱石が発見されてから大きな街が形成され、賑わいを見せましたが、再び無人島に。
今もなお誰も立ち入れない、絶海の孤島・無人島となっています。
なんと栄枯盛衰の島なのでしょうか。
個人的には、こんなに歴史的に興味深い島が無人島となっているなんて、もったいないと思います。
もし、アメリカ軍の射爆撃場でなくなったら、長崎の軍艦島みたいにツアーが組まれても良いかもしれません。
もしくは新たに開発して街をつくっても良いかもしれません。
できれば一回上陸してみたい。
過去の遺構を残しつつ、
これからも沖大東島はひっそりと無人島としてあり続けるのでしょうね。
参考サイト
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