岡本太郎は「芸術は爆発だ」のような破天荒な芸術家のイメージが強いが、
彼はフィールドワークと日本各地、とくに地方の民俗を重視した。
彼は長年、資料としてしか見られてこなかった縄文土器の芸術性を再発見し、東北や沖縄に伝わる伝統的行事を取材してフィールドワークを行い、日本に眠っている古代から伝わる「伝統」を再発見した。
彼はカメラをもって、日本の地方を周り、写真や文章で記録した。
岡本太郎は各地の祭りに対してこのようなコメントを残している
秋田のなまはげ: 「なまはげは霊である」
東北の鹿踊り: 「もはや人間ではなく、獣と化し、少しだけ人間をのぞかせている」
沖縄・久高島の祭り: 「御嶽にひかれる。神が降りる神聖な場所なのに、祭壇も、偶像もない。永遠などないのだ。継いで継いで継がれていくことも永却。」
岡本太郎は「土器」や「祭り」のような根源的なものこそ、絶対的なもの、誰もがもっている根源的なものだと感じ、それに注目したのだろう。
その後、彼は大阪万博で太陽の塔をつくるが、人工的で近未来的な建築物が並ぶ万博会場で、太陽の塔はそれらに対抗する作品だった。太陽の塔を見てみると、明らかに古代の遺跡のような姿をしている。
これは彼が「理屈ですべて動いている現代社会」に対抗するため、理屈、技術の進歩とは真逆の本能的、かつ民俗的なものをつくったのだと個人的には思う。
もしかしたら、これは岡本太郎が全国各地を調査し、再発見した縄文土器や、各地の民俗・文化の集合体ともいえるのではないか。
↑「太陽の塔」:中央にある顔・大きく手を広げた姿は、土器や古代遺跡を思わせる。
↑「背面の顔」:おなじみの姿の背面にも顔がある。こちらも民俗的な雰囲気がする。
近年インターネットの普及により、あらゆるところで情報が得られ、どんな田舎でも世界とつながることができる。逆をいえば、地域独自の文化・民俗が消滅し、ひとつの巨大な文化に統合されようとしている。
これは地理学的にも危機的なことではないのだろうか。
そして岡本太郎の作品はそんな現代への強烈な批判であり、彼の作品を見れば日本各地の民俗を再発見できるはずだ。
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