普段の世界史の授業ではあまり深掘りしない出来事を取り上げる「怖い世界史」。
今回は「セクリターテ(セクリタテア)」を紹介します。
孤児で構成されたセクリターテ
セクリターテはルーマニア社会主義共和国(1945〜89年)にかつて存在した秘密警察。主に防諜や反体制派対策を行っていました。日本の特高警察、ロシアのKGB、ドイツのゲシュタポと同じです。
チャウシェスク政権下でその活動は強化され、街中のカフェやレストランなどいたるところに盗聴器が仕掛けられ、ルーマニアは徹底的な監視社会になっていました。
国民は少しでも反体制的な発言をすれば、秘密警察セクリターテに逮捕されるため、細心の注意を払いながら生活をしなければなりませんでした。
セクリターテの構成員には特徴があり、そのほとんどが国営の孤児院で育てられた人々でした。彼らは一般社会から隔離され、徹底した洗脳と訓練が行われました。
こうして育てられた「エリート」は、セクリターテとしてルーマニア社会に暗躍したのです。
チャウシェスクとは
ニコラエ・チャウシェスク
1960年代から80年代まで、ルーマニア共産党政権下においての最高権力者。
チャウシェスクは独裁的な政治を行いました。例えば、避妊と堕胎手術を禁止し、法律で女性に5人以上子供を産むことを強要。このことで多くの孤児が生まれました。
また、西側諸国からの借金返済のために飢餓輸出(国内で必要なモノを、海外に輸出し外貨を稼ぐこと)を強行し、国民が苦しむ一方、豪華な宮殿「国民の館」を建設、そこに住み続けました。
エレナ・チャウシェスク
ニコラエ・チャウシェスクの妻。夫とともに独裁的な政治を行いました。まさに女独裁者です。
洗脳教育の恐ろしさ
チャウシェスクの独裁政権はソ連のゴルバチョフによるぺテストロイカ、及びそれに伴う東欧革命の流れを受け崩壊(ルーマニア革命)。
ルーマニア革命は他の東欧革命と比べ、武力による革命が行われました。
勝利に喜ぶ反政府勢力の民衆
ブカレストでの抗議デモ
チャウシェスクとその妻は、反体制と寝返った軍隊により処刑されましたが、最後までチャウシェスクを守ろうとしたのはセクリターテでした。
幼い頃からチャウシェスクへの忠誠を洗脳された彼らには、自由を求める民衆など敵にしか思わなかったのでしょう。洗脳教育とは恐ろしいものです。
セクリターテの顛末
チャウシェスクが倒され、ルーマニアが民主化された直後、セクリターテは公職追放を受け、イスラエルの特務機関で働くか、ルーマニアの極右政党に入るか、裏の犯罪組織に入ったとされます。
警察が犯罪者になるというなんとも皮肉。
また、セクリターテとして育成中であった孤児たちは、居場所を失い、ストリートチルドレンになってしまったととのことです。
民主化後活躍する元セクリターテたち
民主化されたルーマニア。これで平和になったかと思えばそうではなく、
国営企業の民営化、極端な緊縮財政。資本主義のもと、弱者切り捨てとも言える政治が行われ、長引く経済不況で国民の生活は厳しいばかり。
そのような中、元セクリターテの中から社会的に成功した人々が出てきました。
例えば、
政治の分野では元セクリターテが所属する右派政党が、国民生活の困窮につけ込み、勢力を拡大。
そして経済の分野では、資本主義社会になり、起業家として成功した元セクリターテも出てきています。
このように、民主化されたルーマニアにおいてもなお、成功した元セクリターテたちは強固な繋がりを持ち、国家機関、政党、マスコミで活躍しています。
今後のルーマニア
最近の世論調査では、ルーマニア革命は間違いだった、今の政治家はチャウシェスク時代より腐敗していると考える人が多数となっています。
今のルーマニアがとても苦しい状況ということがわかります。
そして民主化以降もルーマニア社会の上流に残り続ける元セクリターテの人々。一体彼らはルーマニアをどうしようとしているでしょうか。
今後のルーマニアに注目です。
チャウシェスク時代のルーマニアについて詳しく知りたい方にオススメ!
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参考URL
セクリターテ-wikipedia ※画像は全てwikipediaから引用

ルーマニア: チャウシェスク打倒から20年-マスコミに載らない海外記事

子供たちの心を壊した共産主義-目森窟 Memorix/
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