音楽の街が韓流の街に、なぜ?
新宿区百人町
地理学では普段扱わないであろうアンダーグラウンドな場所を取り扱う「アングラ地理学」
今回は、東京都新宿区百人町にある「百人町区営アパート」
百人町はとなりの大久保とあわせて日本最大のコリアンタウンを形成している。
もともと百人組と呼ばれた江戸の街の警護を担当する鉄砲隊が居住していた百人町。
戦前は「楽器の街」として栄え、多くの文化人、音楽家が住んでいた。
その百人町が一変したのは、戦後、
百人町がなぜコリアンタウンに
以下、wikipediaから抜粋
終戦後の1945年から1946年にかけて、住宅営団によって百人町越冬住宅が450戸建設されていたほか、戸山が原には集合住宅団地が建設され、一帯は住宅地と化した。日雇い労働者や在日朝鮮人などは空き地や山手線、総武線(各駅停車)のガード下を不法占拠して住みつくようになり、現在の大久保界隈の元になるバラック街が形成された。1950年にロッテ新宿工場が操業を開始すると、雇用を期待した本国の朝鮮人や在日朝鮮人などが更に集まった。1970年代頃からエスニック料理店や韓国・朝鮮雑貨店などは少数ながら点在していた。韓国で海外旅行が自由化された1980年代末以降、いわゆるニューカマーの韓国人の住民が増え始め国際化・グローバル化の影響で1990年代以降韓国・中国・フィリピン・タイなど周辺アジア諸国関連の店舗や留学生向けのアパート・日本語学校などが増加した。バブル期には東南アジア出身の「ジャパゆきさん」や出稼ぎのイラン人の姿もよく見られた。
このように、戦後の混乱期に住み着いた在日朝鮮人の人々と、ロッテ新宿工場が操業がコリアンタウン形成の大きな要因とみられる。
つい先日、この「百人町区営アパート」を訪れた。
「百人町区営アパート」に行ってみた
線路のすぐ脇に
訪れたといっても、建物の前を通っただけだが。
2階建ての「百人町区営アパート」は、まさにJR総武線のレールのすぐ脇にある。
あまりにも古く、建物の壁にはたくさんの落書きがしてある。
レールのある土手が日差しを遮断、周辺には高いビルが立ち並び、日当たりは悪い。
↓以下の写真はすべて「Google Map」から引用
人が住んでいるか不安になるが、表札や郵便ポストにも名前が書いてあり、人は住んでいる様子。
郵便ポストに書いてある名前は韓国系の名前であった。
また、表札にも「百人町区営アパート」と住所が書かれていた。
アパートではなく宿泊所
この「百人町区営アパート」は
元々は周辺に不法占拠していた朝鮮人の方々に、
立ち退いてもらうため(東京オリンピック開催を控えていたため)に、
新宿区が急いで建てた「新宿区立百人町作業宿泊所」とのこと。
「作業宿泊所」であるため、作業をする場所もあるらしい。
使用料(家賃)も1月2,300円~6,600円とかなり安い。
ちゃんと居酒屋もある
疑問なのは、なぜこの古いアパートに2017年現在も人が住み続けているのかということ。
直接住民の人に話を聞くと、いろいろな人生物語が聞けそうであり、
百人町、コリアンタウンがどうやってできて、発展したのかを聞ける気がする。
ちなみに、このアパートに関する別のブログ記事を見ると、「親高校」という居酒屋がやっていたらしが、
訪れたときは居酒屋の看板は出ていなかった。
まとめ
このアパートはただの古いアパートではなく、どうやって百人町がコリアンタウンになったか、
その成り立ちを感じることができる建物である。
参考URL
「「裏歌舞伎町」に、こんな奇奇怪怪なアパートが実際、現存している」-渋谷区民オンブズマン
http://tetsu721.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-112d.html
wikipedia「百人町」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E4%BA%BA%E7%94%BA
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