先日、youtubeで「東京」という歌を見つけました。マイペースという日本のフォークグループが1974年に発売した曲です。
この曲を聴くと、1974年当時の「東京」という都市のイメージを読み取ることができます。
1974年は前年の73年に第一次オイルショックが発生し、高度経済成長が終わりを告げたころ。
でも、当時の東京はまさしく日本の首都として、華々しく成長していたわけです。
歌詞の内容は、地方に住んでいる「僕」(おそらく若い男性)が、東京に住む恋人であろう「君」(若い女性)に会いに行くというもの。遠距離恋愛をしているんでしょうね。
「僕」はいつか「君」と二人で暮らしたいのですが、それが叶わないモヤモヤした現状と、
「君」の住む、東京という街の華やかさが対照的に歌われています。
重要なのはここの歌詞。
「いつもいつでも夢と希望をもって、君は東京で生きていました」
「東京へはもう何度も行きましたね、君の住む美し都」
「東京へはもう何度も行きましたね、君が咲く花の都」
当時、地方から上京する人は、現在よりも交通網は発達していませんし、 なかなか帰れない。
それゆえに上京して結果を残そうという人が多かったはず。夢へ向かってがんばる意志もかなり強かったはずです。
そんな高い志を持った若者が集まる街が東京だったわけです。
フォークグループ「がくや姫」が歌った「神田川」という曲も1973年、この時期に発売された曲です。
その歌詞の内容も「若いふたりが狭い東京の下宿で一緒に暮らす」というものでした。
高度経済成長により地方の若者が都市部へ流出し、すでに地方の山村では少子高齢化が起きていました。
この「地方⇒東京」の流れはこの時代に強まり(現在も続く)、商業的にも、文化的にもあらゆるものが「東京一極集中」の状態でした。
さらに、雑誌やテレビといったマスメディアが東京の華々しさ、「東京は流行の発信地!」といったイメージを与え続けたため、
地方の若者の東京へのあこがれは相当強いものだったはずです。
そんなおもいが「君の住む美し都」「君が咲く花の都」という歌詞に現れています。
ちなみに「電車は走る遠い道を」という歌詞があるので、当時、東京まで電車(たぶん新幹線ではなく普通の列車でしょう) で行けたところ、その地方に「僕」は住んでいたんでしょうね。
なんとなく「僕」は東北地方に住んでいたんではないかな…と勝手に推測しております。
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